Croix-Paquet散策
前回の記事が暗かったので、今日は軽い話題で。
三月の半ば、初めて分厚いコートなしで外出できるお天気の日に、カメラを持って外に出た。
市役所からCroix-Rousseの丘に上がる途中にある、Croix-Paquetと呼ばれる界隈。
細い道や坂道がほとんどで車も人も少なく、静かなところだが素敵なレストランが多い。気軽にふらっと入れそうなところから、予約をちゃんと入れてきちんとした格好で行かなきゃだめであろうお店まで、種類もレベルもさまざま。
メニューは必ず外に提示されているので、座ってからお値段をみてびっくりということはない。ここのランチメニューは、前菜と本日のメインまたはメインとデザートで14€、前菜+メイン+デザートなら16€、メインだけなら10€50。リヨンのカフェ・レストランのランチでは平均的なお値段じゃないかしら。
ただ、せっかくだからワインも一緒に飲んで、デザートも頼んだらコーヒーが欲しくなるからコーヒーもオーダーして…てな感じで、ゆっくりランチするとついつい20€程度になってしまうのだね。
この値段だけ見るとアメリカに比べて高いなと思うが、フランスのレストランで食事をする場合、消費税は値段に既に含まれているし、チップも必要ではない(オットの同僚のイタリア人男性は必ず2~3€チップを置くと言っていたが)。アメリカだと、食事と飲み物が$15でも、そこに州税(カリフォルニアの我々がいた郡では8パーセントほど)が加算され、さらにチップは飲食分の15~20パーセントだから、うーん結局同じくらいの値段になっちゃうのであった。
↑日本人のシェフと奥様が経営なさっている、「飲んでるくまさん」という名前のレストラン。リヨンで数少ない、ワタシが自分で電話して予約を入れることのできるお店である。
リヨンに来てから、お店のウィンドーをじいいいっと覗き込むのをあまり恥ずかしいと思わなくなった。
おしゃれなウィンドー・ディスプレーが多いし、他に同じようなことやってる人はいっぱいいるし。若い人はさすがにかっちょ悪いと思うのか覗き込み率が低いみたいだが、年配の人なんてみーんなやってる。ウィンドーを覗きこんだら、さらに手のひらで日光の反射をさえぎってガラスに顔をどーんと近づけて、店の中の様子まで見ちゃう。おばさんになると、こういうことが恥ずかしくなくなるのが
看板もきれいなものが多い。だからと言って上を向いたまま移動しないようにね。足元に充分お気をつけ下さい。ここはフランスですから。
このあたりまで来るともうCroix-PaquetじゃなくてCroix-Rousse。それが証拠に、ほれ、
このタイル。ユネスコ世界遺産区域である旧市街やCroix-Rousseでよく見るこれは、リヨンの史跡などなどを記してあるもので、矢印を辿って歩けばセルフガイド・ツアーになる。矢印がかぎかっこの中に入っているのは、「こっちにトラブールがありますよ~」という意味。
この矢印に従って行くとこういう所に出たが、
ビルとビルの隙間のただの階段に見えるここも、ちゃんとした「通り」で名前もついているし、
建物ひとつひとつに番地も付いている。
Montée du Perronを上から見下ろすとこんな感じ。
こういう人通りの余りない秘密っぽい小路は、やっぱり京都を想わせる。地元の人には秘密でもなんでもないのだけれど。
このかぎかっこ矢印が指しているのは、
こういうトラブールだった。
トンネルを抜けると…じゃなくて、トラブールを抜けると、
とてもアートなスペースに出た。きゃーきゃー(心の中で)言いながら写真を撮るのに夢中になっていたが、ふと後ろを振り向いて本当に声を出してしまった。
むちゃくちゃかっちょいい階段があったのだ(*補足)。こんな写真じゃ全然かっちょよく見えないが、一瞬引いてしまったほど迫力があった。ホントに声に出して言いました、「おぉッ、うわ」って。誰もいなかったからよかったけど、ああ恥ずかしい。
レジスタンスの歴史に誇りを抱いているフランスでは、いわれのある場所には記念板があってその地に関する歴史等々が説明されていることが多い。
この階段の傍にもそういう記念板があって、ごく簡単にこの場所の歴史が語られていた。
リヨンの歴史は、商業の面でも政治の面でも絹織物職人の存在なしには語れない。ワタシにはここに書かれていた簡単な英語の説明による理解しかないのだが、絹職人の中には急進派が多かったらしく、ちょうどこのあたりには1848年に起こった革命に関わった職人たちが集まっていたそうだ。
そういう歴史的に意味深い場所にあるこの階段は、手入れが行き届かなくて状態の悪いものになってしまっていたらしいのだが、1995年に修復されてリフォーム・オープンとなったらしい。
「こういう歴史あるこの階段で、二百年前と同じように、子供たちがまた追いかけっこをして遊ぶことができることの意味」云々と書かれてある記念板を読みながら、こういう場所に住むってどんな気持ちなんだろう…と想像を働かせるワタシであった。
(*補足)フランス語版ウィキペディアのCroix-Rousseのエントリーに、この階段の写真が載ってます。夜見たらきれいだろうな。
ここで、ちょっと歩き疲れたしこの辺でお茶でも…と思ってカメラをしまっていたら、携帯に電話がかかってきた。出ると、なんと別の大陸に出張中のオット。「学校から僕の携帯に電話があって、Eの具合が悪いから迎えに来いって」。
電話をかけてきた事務の人、「家にかけても奥さんの携帯にかけても誰も出ないんです」と言ったらしい。その人がかけていた「奥さんの携帯」の電話番号は、リヨンに来て二ヶ月間のみ持っていた番号。もちろん新しい番号になってすぐに連絡先の変更はお願いしてあった。
しかもですよ。「奥さんの携帯に何度電話しても繋がりません」事件は、実はこれが初めてじゃあないんですよ。
十一月だったか十二月だったか、前回ムスコの具合が悪くなって迎えに行く必要があった際にも事務所の人は古い方の番号に電話をしたので当然ワタシに繋がらず、このときも別の大陸に出張中だったオットの携帯に電話があったのだ。その時もとりあえず連絡はついたので学校に迎えには行けたが、ちゃんと連絡先の携帯番号を書き替えておいて下さいよ~これが緊急の連絡先なんだから~とこめかみぴくぴくさせながら頼んだにもかかわらず、今回また…という、ああもう、書いているだけでまたイライラしてきた。
…あ、いかんいかん。軽い話題のはずだった。
現在手元にある一番の明るい話題は、今月半ば過ぎに南仏への旅行が待っていること。エクサンプロヴァンスのコテージを一週間予約した。わ~いわ~い。
ストレスの素からちょっと離れて、田舎村でゆっくりゆ~っくりする予定である。
by cocopuff1212
| 2010-04-05 03:26