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PH4.4-7

無駄 VS 贅沢

必要なものとそうでないものの区別がいかに個人的なものであるか、考えてみると結構興味深い。ケチと堅実の差は紙一重だけれど、この紙一枚をどこに置くかは人によって本当に様々。贅沢の定義は人の数だけ存在する。

なんでこんなことを考えているかと言うと、原因は最近のワタシの(人から見たら多分ぶん殴りたくなるようなあまりにも平和な)ディレンマ…、そう、コーヒーカップ。

安月給ひとり暮らしの独身時代に少しずつ集めていたマグ。いっぺんに買うお金がなかったからひとつふたつと本当にちょっとずつ、セットでは買えなかったけれど統一感は欲しかったので大きさがほぼ同じものを探して、必ずディスカウントショップで市販の値段より4~6割安いものを買っていた。その頃は特にクラシックアートにはまっていて、最初に買ったのは確かボッティチェルリの『ビーナス誕生』と『春』の絵のものだったと思う。次はデガの踊り子のを買って、その次はマチスの絵のを買って…と買いためていって、最終的にはゴーギャン、ゴッホ、モネ、スーラ等々全部で10個集まった。一人暮らしでマグはそんなに沢山必要ないが、キッチン用品も他の食器もあんまりいいものを使っていなかったので、コーヒーくらいお洒落した気分で飲みたかったのである。マグ一個$4位のものだったから小さい贅沢だと思っていた。

結婚したときオットはマグカップをひとつも持っていなかったのでワタシのコレクションの存在は好都合であった。その後三度の引越しを経て、これらのマグはなんとひとつも割れずに現在の我が家まで辿り着いている。

で、何がディレンマかというと、10年間使ってきて、正直言ってなんとなーく飽きてきちゃったのだ。そうなると、何処へ行っても素敵なデザインのマグカップが目に付いて仕方ない。

かと言って、思い切って新しいものを買う勇気もないのである。

だって。海を越えて大陸横断を二回やっても割れなかったカップたち、どれも最低400ccは入る大型マグで、質はよくて丈夫。デザインだって流行のないものである。処分する理由ははっきり言って全くない。それにいっぺんに買ったんじゃなくて少しずつ買い集めたものだから、やっぱりコレクションしたという感があって愛着は残っているのだ。

もちろん処分するとしたらごみに出すんじゃなくて救世軍なんかに寄付するが、それでもまだ充分使えるものがあるのに新しいものにお金を使うのって、贅沢を通り越して無駄じゃあないだろうか。それに実はこのアートカップコレクション以外に、義母・義姉の影響で集まってしまったポーランド製Boleslawiecのコーヒーカップ12個ってのもあるのだ。そう、実は食器棚いっぱいなのだよ。それなのにちょっと飽きたからってどっさり買い換えるってのは、おいワタシ、態度悪いんじゃないの。

…とコーヒーカップくらいで悩むなんてまあ幸せである証拠なのだが、結構心の中で葛藤の日々が続いているんである。

この他にも「欲しいな~。でもやっぱり贅沢だよね。やめとこう」という心理バトルの要因は例えばエコバッグ。袋であれば役割を果たすのだから、家にいっぱいあるどっかでタダで貰って来たトートなんかを使えばいいのであって、お洒落である必要はない。無駄を減らすのが本来の目的のエコバッグ、可愛いからと言ってわざわざ新しいのを買うのは根本的に間違ってるかな~と思っちゃう。

でも、こんなのを見つけると、そりゃあ欲しくなっちゃうでしょオンナノコなら(オンナゴコロに年齢はない)。しかもセールでたったの$2.48だし!あっ、でも送料が$11.21かかるんだ~。なーんだそれなら買う気がしないなあ。

…などと悩むヒマがあったら家の用事をするべきなのだが。

だけど、食料の買出しだけじゃなくモールでお買い物の時にだって使えるエコバッグ、どうせ使うんなら可愛いものを買ってもいいじゃない。という人もいて、それはその人の価値観であって間違ってないのである。実際周りの友人にそういう人は沢山いる。

そしてこんなつまんない買い物をするかしないかで悩むワタシではあるが、そのまた一方で額に入ったアンティークのフランス製石鹸ラベル$XXXは迷わず買っちゃったり、図書館で借りて読みゃあいいのに「この本は絶対自分のが欲しいの!」と新刊で購入しちゃったり、はっきり言って節約はできてない。

だからぁ~、贅沢の定義は人の数だけ存在する。

で、今のところ、コーヒーカップを買い換えるのは贅沢であるという結論に落ち着こうとしている。あと2年したらうちは結婚10周年。スイートテンダイヤモンドの代わりに、記念に新しいマグの10個セット買ってもらうっての、どうだろか。贅沢かしら?
by cocopuff1212 | 2008-04-12 08:50